政府のばらまき政策。これから富裕層を目指したいと考えている人には厳しい時代になる?

今の政策はばらまきか?

コロナ禍の中、持続化給付金から始まり、10万円の定額給付金、飲食店への支援、月次支援金、そして今度は子供1人当たり10万円の給付金と、最大250万円の事業復活支援金。

とにかく、コロナを理由に、ここぞとばかりにお金をばらまく政府。

誰もが思う、「これでほんとうに良いのだろうか?」という疑問。


このお金は本当に必要なものなのだろうか?

最近、社会的に過度なものが多すぎる気がします。

飽食の時代ともいわれ、日本で生活している限り、食べ物に困ることはほとんどなくなった。むしろ人の体として、体力や健康を維持する以上に何かを食べているような時代です。

挙句の果てに、食べ過ぎて逆に不健康になっている。肥満や成人病、糖尿病、痛風。

物に関してもそう。

衝動的に買ったのは良いけれど、結果大して使わなかった。プレゼントとして貰ったモノも、使われなくて押し入れなどに入れっぱなし。

サービスもそう。

無料であっても、必要以上に過度なサービスを求める人もいる。客だからとという理由で、当たり前のように偉ぶる人もいる。最近では『カスタマーハラスメント』なんて言葉もでてきた。


私たちは、無駄なものを求めすぎてはいないだろうか?

世界のエネルギー事情。脱石炭や脱石油、脱炭素という話があり、目指すべきは再生エネルギーだなんだとか言っているけれど、そもそも私たちが無駄を求め過ぎなければ、それだけでも、ちょっとは違うのではないかと最近思う。


政府のばらまき政策。

これは、私たちの無駄を追い求めてしまっているところに問題があるのではないだろうか?

ばらまきなのか、ばらまきでないのか。いろいろ言われることはあるかもしれないけれど、そもそもお金というは、仕事があって入ってくるというのが普通なのだと思う。

お金のない人にお金を渡すことよりも、そういう人には仕事を与えること。そして、それに対する報酬を提供する。この方が自然なのではないだろうか?

ビル・ゲイツが、貧困層に『鶏を寄付』するって話があったけど。

ただ、お金を渡していたのでは貧困は決してなくならいということ。人は『稼ぐ手段』を手に入れなければ、いつまでたっても貧困から脱出できない。一時的なお金よりも、恒久的にお金を手にする手段が重要だという考え方です。

そう考えると、ただお金を配るというのは、『ばらまき』って言われててもしかたのないことなんだと思う。

言いたくはないけれど、政治家の国民に稼ぐ手段を与えられない無策ゆえの政策が、ばらまきになっているのかもしれない。


しっぺ返しは、富裕層になりたい人達へ。

稼ぐ手段を与えるのではなく、ただお金を渡すだけの政策。

これによって、危惧することになるのは、やはり『増税』。

これから稼げるようになりたいと思っている個人事業者や企業経営やたちは、まさに今後の『増税』を気にする。

「格差を失くすために増税する」というのは、聞こえはかっこいい。

でも、増税されるのはすでに格差のトップにいる人たちだけじゃない。

これから稼ごうとしていく、ゼロから富裕層を目指そうと頑張る人に対しても、おそらく増税されることになるのだと思う。


少しづつ所得や資産が増えるにつれて、税金の負担が増えていく。

そうなると、稼げば稼ぐほど所得や資産は増えなくなっていく。ゼロから上を目指す人にとっては、今までの社会よりも、どんどん厳しい道になっていくことが予想される。

頑張る人が報われない。

既に上にいる幸運な人は、多少税金が増えてしまったという程度。下のままで構わないという人は、政府の恩恵でちょっと良くなる。

下から上にを目指す人が一番厳しく感じるんじゃないかと感じる。


そう考えると、きっと今上を目指している人たちにとっては、悔しと感じることのように思います。

「なぜ、ばらまくんだ!」と言いたくなるかもしれない。

所詮、増税しても、お金をばらまいても、格差というのはなくならない気がしている。

上のモノを落とすことよりも、下から上を応援する。そんな姿勢も必要なんじゃないかと思う。

ぜひ、政府にはただばらまくだけではなく、今後増税するにしても、社会基盤の作り方から議論して増税の仕組みを考えてほしいと思うとことです。

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